苔むした岩の間から湧き出る九州の清水

九州の名水を巡る — 阿蘇の湧水群から島原、竹田まで

前回の記事で、日本の軟水がいかに食文化を支えてきたかをお伝えしました。

今回は、その名水の宝庫ともいえる九州に目を向けてみましょう。阿蘇、竹田、島原——火山と水が織りなす、九州ならではの水の物語をたどります。

火山が育てた水の王国

九州の水を語るとき、避けて通れないのが火山の存在です。

阿蘇山をはじめとする火山群は、九州の大地に独特の地質構造をもたらしました。火山灰や溶岩が積み重なった地層は、天然のフィルターとして働きます。降り注いだ雨は、この多孔質の地層をゆっくりと浸透し、数十年という歳月をかけて磨かれ、やがて清らかな湧き水として地表に姿を現すのです。

つまり、九州の名水の多くは、火山の恵みにほかなりません。

白川水源 — 毎分60トンの奇跡

熊本県南阿蘇村にある白川水源は、環境省の「名水百選」に選ばれた九州を代表する水源池です。

阿蘇カルデラに降り注いだ雨が、30年とも40年ともいわれる長い歳月を経て地下を旅し、ここで地上に湧き出します。その量、毎分約60トン。水温は年間を通じて約14℃に保たれ、透明度が極めて高いため、池の底で砂が舞い上がりながら水が湧出する様子を、そのまま目にすることができます。

白川水源のそばには白川吉見神社があり、水神「みつはのめ神」が祀られています。この地の人々が古くから水に対する信仰を持ち、湧き水とともに暮らしてきたことを物語っています。

実はこの白川水源は、南阿蘇村に点在する湧水群のひとつに過ぎません。周辺には塩井社水源、寺坂水源、竹崎水源など、10を超える水源が集まっています。南阿蘇村がみずから「水の生まれる里」と名乗るのも、うなずけます。

熊本 — 60万人の水道を支える地下水

ここでひとつ、驚くべき事実をお伝えしましょう。

熊本市は、人口60万人を超える政令指定都市でありながら、生活用水のほぼすべてを地下水でまかなっている、日本でも極めて珍しい都市です。

蛇口をひねれば、阿蘇の大地が磨いた天然の地下水が出てくる。ペットボトルの水を買わなくても、水道水そのものが「名水」なのです。

市内中心部にある水前寺江津湖では、1日に約40万トンもの地下水が湧き出し、水面積50ヘクタールの湖を形成しています。都市の真ん中にこれほどの湧水を抱える街は、日本広しといえどもそう多くはありません。

竹田湧水群 — 城下町に響く水音

阿蘇山系の伏流水は、熊本だけでなく県境を越えて大分県竹田市にも恵みをもたらしています。

竹田市には60か所を超える湧水スポットがあり、これらを総称して「竹田湧水群」と呼びます。環境省の名水百選にも選ばれたこの湧水群の日量は、6〜7万トンにものぼります。

なかでも泉水湧水は、火山岩の亀裂から湧き出す透明度の高い水で、「九州一の名水」とも評されています。河宇田湧水は竹田湧水群で最も水量が豊富で、休日には九州各地から水を汲みに訪れる人々で賑わいます。

竹田は歴史ある城下町でもあり、旧市街を流れる水路には今もコイが放流されています。名水が街の風景そのものになっている——竹田はそんな稀有な場所です。

島原湧水群 — 噴火が生んだ「水の都」

長崎県島原市は「水の都」と呼ばれ、市内50か所以上に湧水地が点在しています。

興味深いのは、その成り立ちです。1792年(寛政4年)の雲仙岳噴火に伴う大規模な地殻変動が、良好な帯水層を形成しました。背後に迫る眉山の透水性に富んだ山体が地下水に圧力を加え、市内各所で水が自噴するようになったのです。

自然災害が、結果として町に豊かな水の恵みをもたらした。島原の湧水には、火山と人がともに歩んできた九州の歴史が映し出されています。町中を流れる水路では今も鯉が泳ぎ、訪れる人の目を楽しませてくれます。

九州の名水、それぞれの個性

前回の記事で、「おいしい水」の条件のひとつとして「硬度20〜60mg/L程度」と書きました。

九州の名水は、まさにこの範囲に収まるものが多いのですが、地域によって微妙な個性があります。阿蘇系の湧水は硬度が低めの軟水で、まろやかな口当たりが特徴。一方、竹田の湧水はメタケイ酸などのミネラルをやや多く含み、硬度60〜70程度の「中硬水」寄りの味わいです。

この違いは、地下を通る岩盤の種類や、水が地中を旅する時間の長さによって生まれます。同じ九州でも、一口飲めば「違う水だ」と感じられる。それもまた、名水巡りの醍醐味です。

水がお米を育てる

九州の名水は、ただ飲むだけのものではありません。

南阿蘇村の湧水は、村の農業になくてはならない灌漑用水として使われてきました。水稲を中心とする農業にとって、清らかで豊富な水は文字通り「命の水」です。

熊本の「森のくまさん」、大分の棚田で育つ米。九州のお米がおいしい理由のひとつは、間違いなくこの水にあります。火山が水を育て、水が米を育てる。九州の食は、このシンプルで力強い循環の上に成り立っているのです。

次回は、その九州のお米に焦点を当てます。実際に田んぼを訪ね、水と土が育てる米の味わいを追いかけます。


この記事は「水の恵み」シリーズの第2回です。

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