九州の米農家を訪ねて — 火山の土と水が育てる、ここだけの味
前回の記事で、九州の名水を巡りました。阿蘇の白川水源、竹田湧水群、島原湧水群——火山がつくった大地を何十年もかけて旅した水が、清らかな湧き水として地表に現れる。その記事の最後に、こう書きました。
「火山が水を育て、水が米を育てる」
今回は、その言葉の先へ進みます。九州の田んぼを訪ね、土と水が育てるお米の話をしましょう。
九州は「米どころ」ではない、という誤解
お米の産地と聞いて、多くの方がまず思い浮かべるのは新潟、秋田、山形といった東北・北陸の名前でしょう。実際、収穫量のランキングでは東日本の県が上位を占めています。
では九州はどうか。実は、福岡県と熊本県はそれぞれ全国でも有数の米どころです。九州全体で見れば、全国の米生産量のおよそ15%を占めています。けっして少なくありません。
にもかかわらず、九州のお米が全国的に注目されるようになったのは、比較的最近のことです。30年ほど前まで、九州の米は「暑すぎて良い米はできない」とさえ言われていました。その評価を一変させたのが、一つの品種の登場でした。
ヒノヒカリ——九州に「おいしい米」をもたらした革命児
1989年、宮崎県総合農業試験場で一つの品種が生まれます。コシヒカリと黄金晴の交配から誕生した「ヒノヒカリ」です。
名前の由来は、九州の太陽を表す「日」と、炊いたご飯が光り輝く様子から。その名の通り、ヒノヒカリは九州の稲作に光を灯しました。
それまで九州の普通期栽培では、食味よりも収量を重視した品種が主流でした。「ニシホマレ」や「ミナミニシキ」といった品種は多収ではあるものの、東北のコシヒカリやあきたこまちと比べると食味で見劣りしていたのです。
ヒノヒカリは、コシヒカリ譲りの良食味と、九州の温暖な気候に適した栽培特性を兼ね備えていました。瞬く間に九州全県に広がり、やがて中国・四国・近畿地方にまで普及。全国の作付面積で、コシヒカリ、ひとめぼれに次ぐ第3位にまで上り詰めました。
九州のお米が「おいしい」と認められるようになった原点。それがヒノヒカリです。
温暖化という試練
しかし、2004年頃から異変が起き始めます。
夏の気温が年々上がり、稲が実る8月下旬から9月にかけての平均気温が、1990年代より1度近く上昇しました。たった1度。しかしお米にとって、その1度は深刻でした。
ヒノヒカリの玄米に「白未熟粒」——粒の中心が白く濁る高温障害——が目立つようになったのです。見た目が悪くなり、等級が下がり、販売価格も下がる。九州では一等米比率が50%を切る年が続きました。
おいしい米を育てる力を持ちながら、猛暑には耐えきれない。ヒノヒカリの弱点が、温暖化という時代の変化によって露わになったのです。
森のくまさん——「森の都」が生んだ熊本の誇り
この課題に、各県の農業研究機関が立ち上がります。
熊本県農業研究センターは、1989年から8年の歳月をかけて新品種の開発に取り組みました。母にヒノヒカリ、父にコシヒカリ。九州で最も愛されてきた品種と、日本を代表する品種の交配から、1997年に「森のくまさん」が誕生します。
この名前には、「森の都・熊本で生産された米」という意味が込められています。夏目漱石が熊本に赴任した際、緑豊かな街の姿を「森の都」と称したことに由来します。
2012年、日本穀物検定協会の食味ランキングで、森のくまさんは特Aランクの中でも最高得点を獲得。全国1位に輝きました。もちもちとした食感と強い粘り、コシヒカリ譲りの甘みが高く評価されたのです。
熊本が単独で育成した初めての品種が、全国の頂点に立った。それは、九州の米づくりにとって大きな自信となりました。
にこまる——温暖化時代の希望
森のくまさんが「食味」で九州の米の実力を証明したとすれば、もう一つ、「高温耐性」という切り口から未来を切り開いた品種があります。
「にこまる」。名前の由来は、「おいしくて思わずニコニコ、丸々とした粒張りの良さ」から。九州沖縄農業研究センターが10年がかりで開発し、2005年に世に送り出しました。
にこまるの真価は、記録的な猛暑に見舞われた2010年に明らかになります。ヒノヒカリの一等米比率がわずか11%にまで落ち込んだ熊本県で、にこまるは92%という驚異的な数字を叩き出しました。
その秘密は、稲の茎に蓄える炭水化物の量にあります。にこまるはヒノヒカリよりも多くの炭水化物を茎に蓄えることができ、高温と日照不足が重なる条件下でも、その貯蓄を使って米をしっかりと実らせることができるのです。
収量はヒノヒカリより5〜10%多く、食味は同等かそれ以上。長崎県産のにこまるは、食味ランキングで4年連続の特A評価を受けています。
品種の進化は止まらない
九州の品種開発はさらに続いています。
熊本県は2016年、森のくまさんに続く新品種「くまさんの輝き」をデビューさせました。高温耐性と食味の良さを高いレベルで両立させた品種です。佐賀県では「さがびより」が特Aの常連となり、福岡県や大分県でもそれぞれの風土に合った品種の開発が進んでいます。
第2回の記事で紹介した品種の名前を覚えているでしょうか。コシヒカリ、ササニシキ、つや姫、森のくまさん、にこまる。あのとき触れた九州の品種たちが、こうして一本の物語としてつながっています。
東北の米が冷涼な気候と雪解け水によって磨かれるように、九州の米は温暖な太陽と火山の水によって鍛えられてきました。そして今、気候変動という新たな試練が、九州の米をさらに強く、おいしく進化させているのです。
棚田——山の斜面に刻まれた米づくりの歴史
九州の米づくりを語るうえで、忘れてはならない風景があります。棚田です。
農林水産省が1999年に選定した「日本の棚田百選」134地区のうち、九州には数多くの棚田が含まれています。
佐賀県唐津市の浜野浦の棚田は、玄界灘に面して283枚の水田が階段状に連なります。5月、水を張った田んぼに夕陽が映り込む光景は、言葉を失うほどの美しさです。
同じく佐賀県の蕨野の棚田は、「野面積み」と呼ばれる石積みの構造が特徴的で、その高さは最大8.5メートル。日本一の石積み棚田として、国の重要文化的景観にも選定されています。約700枚の水田が、八幡岳の北斜面に扇状に広がる姿は壮観です。
長崎県松浦市の土谷棚田では、約400枚の水田が海に向かって段々に広がり、毎年9月には畔に灯籠が灯される「火祭り」が行われます。
こうした棚田は、平地の少ない九州の山間部で、先人たちが一枚一枚、石を積み、土を運び、何世代にもわたって築き上げてきたものです。大型機械が入れない急斜面。効率だけで語れば、とうに放棄されていてもおかしくない。
それでも、棚田が今も生きているのは、ここでしか生まれない米の味があるからです。山からの冷たい水、昼夜の大きな寒暖差、清浄な空気。棚田の米は、平地の米とは異なる繊細な甘みを持つと言われています。
ただし、現実は厳しい面もあります。高齢化による離農は九州でも深刻で、かつては田植えが行われていた棚田が、少しずつ自然に還りつつある場所もあります。先人から受け継いだ風景を次の世代に手渡すことができるのか——それは、九州の米づくりが抱える、もう一つの問いです。
土と水、そして人
九州の米農家が向き合っているのは、自然の恵みだけではありません。
温暖化への適応、品種の更新、後継者の確保、ブランド化による付加価値の向上。課題は山積しています。しかし、その一つ一つに対して、研究者は新品種を開発し、農家は栽培技術を磨き、地域は棚田の景観を守り続けています。
火山の土がミネラル豊富な水を育て、その水が田んぼを潤し、太陽が稲を実らせる。そこに人の知恵と情熱が加わって、はじめて一粒の米が生まれる。
九州のお米を食べるとき、少しだけ思い出してみてください。そのご飯一膳の向こうに、火山と水と土、そしてそれらと向き合い続ける農家の姿があることを。
次回は、九州のもう一つの食の柱——味噌蔵を訪ねます。良い米と良い水が出会い、麹の力で「醸される」とき、何が生まれるのか。発酵の恵みシリーズ第2回をお届けします。
この記事は「土の恵み」シリーズの第2回です。